つまるところ病気です

しがないオタクの備忘録 いつの間にか、社会人になりました。

そのステージを駆け上がる君たちへ

 

 

 

 

 酸いも甘いもを乗り越えて、彼らはこれから、どこへ行くんだろう。
「ゲーム実況」という夢も希望も乗せた船の終着点は、
いったいどこなんだろう。

「ゲーム実況者」はめちゃくちゃカッコいい|微酸|note

 

 

彼らの歩みとその行きつく先について、ずっと考えていた、矢先だった。

 

 

 

napolimen-stage.com

 

ナポリがまたどっか行った。
ch放送特別回はさすがに拡大解釈すぎる。どこを経由してんねん。

 

 

というわけで、突然ですが、推し実況グループ「ナポリの男たち」が今夏、
舞台になります私もよくわかってません。訳が分かったことの方が少ない

 

 

 脳死していた。完全に処理落ちしたまま、涙が出た。もう二度と感じることはないと思っていたこの喜びの感覚を、知っていた。

 いつだって想像を超えてくる「男たち」に、また今回もしてやられた。

 

 

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なんだこれ。

 

分からないのに、何が起こっているのかわかっていないのに、嬉しくてうれしくて、ただただ涙が止まらなかった。そんな経験をまた出来ると思っていなかった。


筆者の過去の事情なども織り交ぜての文章になりますが、良かったらお付き合いください。

 

 

 

・推し実況者が舞台になるということは

まあ、次なるイベントということで (蘭たん)

www.youtube.com

 

したり顔でニチャ笑いする蘭たんの顔があまりにも鮮明に想像できる。(顔知らんけど)完全に油断した。だって完全にナポリ展だと思ったもん

 

 

 

ナポリの男たちにハマって9か月ここに来て、なぜか私のこれまでの人生と「ナポリの男たち」がまるで伏線回収のように輪廻として繋がってしまった。


物心ついたときからずっと振ってきたペンライトを、いま一番応援したいと思える人達のために(本人じゃないけど)(?)振れる日が来るなんて、誰が想像したんだろう。

 

 

 

少し個人的な話をすると、ナポリにハマる以前は実況とは全く関係のない界隈におりました。
そこで感じた個々の解釈、強火、マウント、チケ戦など挙げればキリがないほどの「オタクとしての生きにくさ」。幸せになりたくて趣味をやっているのに、どうして苦しい思いをしなきゃならないんだろう。どうしたって資本主義の界隈で息をしているうちに気づかぬうちに限界まで疲弊して離れたことがあります。それが2.5次元の舞台でした。

 


そんな舞台に、ナポリが立つという。(本人は立たないが)

 

 

本来なら苦虫を潰したような思いになるはずだった。だけど、発表を聞いたとき、
何よりも一番最初に、嬉しかった。

ナポリなら大丈夫だと直感的に思った。 そう思ったら完全に脳死して処理落ちした。涙が出た。

 

 

また、舞台を見て幸せになっていいんだと、思えた。

 

 

苦い思い出だった2.5次元の思い出をこんな形で昇華できるなら、あの日々たちが報われる。きらきらして眩しいはずの舞台を手放しで楽しめなかった悲しみが、やっと昇華される日が来る。

 


もう二度と感じることはないと思っていたこの喜びの感覚を、知っていた。

 

世の中には言語化できない感情もある。
直感的に「ナポリなら信じられる」と思った、ただそれだけなんだと思う。

 

 

ナポリの男たち」が考えた舞台なら、信じられる。

 


好きで居たかったグループたちが壊れていく景色、ずっと大好きだと信じていた作品がその息吹を止める瞬間。それらの経験は知らず知らずのうちに自分の中で膿となり、人生の節々でそのトラウマがよぎる。そのトラウマを抱えて生きていくのはストレスすぎて、ずっと苦しかったけど、こうやって思い出が形を変えて「良い思い出」の糧になっていくなら、すべての出来事を必死で通ってきて良かったなと思う。

 

 

 人生で二度もこんな奇跡を味わえるなんて、思ってもいなかった。同時に「これが幸せなんだ」と心の底から自分で実感するその感覚を知らぬ間に渇望していたのだと思う。

 

 

 

推しの新情報に生かされるほどオタクとして楽しいことは無い。
こうしてナポリはまたひとり、オタク脱走寸前の限界オタクを救ったのである。

 

 

 

 

・未踏の花道を歩く4人が好きなんだ

 

 

 えらいとこにきてしまったな、と思う。

 

 

ナポリの男たち」は、ぬるま湯なんかじゃなかった。
足がもたつくほどのヘドロの海に、とっくの昔に呑まれていた。何度も何度も言っているけど、なんでもない日常に寄り添ってくれる毎週の動画に自分でも訳が分からないくらい救われている。そんなゆるい日常の供給は、いつしか摂取しないと禁断症状を起こしうるシャブへと大成していた。

 

 ぬるま湯だと思って好きになり、その深淵を疲れた時のビタミン剤として慢性的に摂取し続け、気づいたら「男たち」の奈落の底へ、落ちていた。

 

こんなにも予想を超えてくるグループだと、正直思っていなかった。

 

 

 

皆さん「どうなるんだ?」と思われていると思いますが、我々も同じ想いです。どうなるんでしょう。
でも、予想もつかないことのほうがドキドキして楽しいですよね。

COMMENT | ナポリの男たちch特別回「舞台・ナポリの男たち」

 

 

この一言を見て、びっくりした。期待を、予想を、ハンドル120度切ってあらぬ方向へと超えていく4人の生き方随分と前から確立されていたのだろうと思う。私が知っている「ナポリの男たち」なんてその氷山の一角で、「男たち」は想像以上に、「ゲーム実況者」としての未踏の地を掻き分けていくという意思が強くあったのだな、と改めて実感した。

 

 変化を受け入れるのは容易ではない。変化して、新しいことを提供して、グループとして続いていく。そんなことをさらりとやってのけてくれるグループだと思っていた。

 

 

 

さらりとやってのけていると、思っていた。
違った。彼らは「ナポリの男たち」としての可能性を、いつだって考えてくれていた。

 

 

 

まだ私が「ナポリの男たち」という実況グループを知らない時も、彼らがグループの存続について考えていたときにも、顔出しせずに活動するためになぜか怪人になったときも毎週の放送を何食わぬ顔して配信してくれていたその時もずっとこの企画が水面下で動いていたのかと思うと、どうしようもない気持ちになる。

 

 

 

 

思慮深くて、ずれていて、予想がつかない。

なんて誇らしい推し実況グループなんだろうと思った。

 

 

 

約1年やってきたわけですけど、何か変わったりしたかなとか聞きたいなって (hacchi)

 [会員専用]#10 すぎるのわんぱく子供番組! - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

 

 

 

たつきながら、距離感を伺いながら、そんなことを言ってはじまった4人が、こんなにも多くのファンに戻れないほどの中毒性を植え付けるトンデモグループになるなんて、この当時のどれほどが想像していたんだろう。

 

 

新しいことを次々にやりのける彼らの姿が、今すごく眩しい。眩しくて、幸せだと思った。

 

 

すべての生きてきた経歴がこうやっていま一番応援したいと思えるグループに還元されるのだとということを知らなかった。そういうことが起こるのが人生なんだと足りない海馬を総動員させて理解した。

 

・「いつか行きたいねナポリ」は着地点だろうか

 

 

変わらないものなんて無い。だからこそ毎週毎秒歩み方を変化させている「ナポリの男たち」の柔軟なやり方がすごく好きだった。

生まれも育ちもゲームスタイルも違う4人が手探りで探す過程も、その答えも、大好きで尊敬している。
変化を恐れず、新たな考え方を適用して、その存在意義をアップデートしていく「男たち」の生き方が好きなんだな、と強く思う。

 

 

自身の依代を用いて板の上に立つと言い出すあなたたちが、面白くて、予測不可能で、楽しくて、幸せであると同時に、切なくて涙が出る。

 

 

この4人でやれること」をすべてやりつくしたとき、「ナポリの男たち」は、消えてしまうのだろうか。「ナポリの男たち」の歩むストーリーに、筋書きはあるのだろうか。

 

 

しがないオタクのささやかな願いとしては、三葉虫の手垢がついた「ゲーム実況」という言葉通り、新しいことが生み出せなくなっても、おじいちゃんになっても、できれば4人そろって、大好きなゲームをプレイしていてほしい。今日も4人の健康を祈りながら動画の再生ボタンを押すことしかできないが、「ナポリの男たち」の行きつく先をできるだけ長く、見ていたいなと思う。

 

 

人生にリロードボタンは存在しない。こうして「男たち」を全力で追いかけている今もれっきとした「私の人生」の経歴で、揺るぐことない史実として刻まれる。結果的にいい思い出にはならなかった出来事も、履歴として消えることなく残される。

 



消えぬ刻印となるのなら、振り返って「いい景色だった」と笑えるまで、全力で走っていたいと心から思う。

 

 

昨年からの未曾有の事態下で出会った「ナポリの男たち」のリアルイベントというのは正直、叶う予想がついていなかった。そもそもそんな発想が無かった。

 

三か月後というあまりにもリアルな数字に驚いた。ナポリの現場か。夢か?

 

 

そもそも、大好きな人たちのために現場まで足を運ぶという行為が好きだった。
私にとって現場とは、何気ない日常に差し込む、あまりにも眩しい光だった。今日のために用意してくれたパフォーマンスと、その日にしか見られない表情をできるだけ多く覚えていたいのに、あふれ出る涙で前が見えない。馬鹿みたいだ、と思いながら、耳奥がつぶれるような音楽に胸を震わせる、あの瞬間が大好きだった。大好きな作品の応援の光という一部になるのが幸せで、そして同じようにその作品に忠誠を誓ったオタクたちと、同じ空間を味わうのが人生の最高の喜びだったあと前日の高揚感で眠れなくなりたい。知らん土地の知らん駅で、いつ来るか分からない電車を待ちたい。チケットがあるかどうか、ヒヤヒヤしたい。ライブが終わったらみんなで顔を見合わせて、一杯目のビールにすべてを捧げたい。帰りの夜行バスで爆睡して、死にかけの脳で吉野家の朝定食食いたい。そこまで含めて好きだった。

 

 

ああ、本当にナポリのオタクに会えるのか。ナポリを応援することがこんなに楽しかったのは紛れもなく、一緒に彼らの進むトンチキロードに一喜一憂してくれたフォロワーの皆様のおかげだと思っているので、本当に嬉しいです。

 

 

 信じた「好きなもの」が心から誇れるものだった喜びを噛みしめるこの人生を、もう誰にだって否定させはしない。

 

 

 いつかナポリにいって、そこが通過地点でも、ゴールでも。
終着地点がどこであっても、その軌跡を「素敵だ」と笑えるような、ファンでいたいと思う。

 

 

・そのステージを駆け上がるあなたたちの、終着点は

 

 

 

勝手に好きになって、勝手に信じて、勝手に不安になって。オタクというのはどこまでも自己中心的だと思う。それなのに、「見たことない景色」へのチケットを用意してくれる「男たち」は、なんて懐の深い人間たちなんだろう。

 

 

 とも思ったけど同時に、三十路も超えた(一人もうすぐ四十過ぎるけど)大人たちがこんなにも多くの人の心を動かし、揺るがし、混乱させた(?)というのも、なんともドラマチックな話だ。

 

「男たち」がいま走っているその道が彼らに遅れてやってきた青春の道ならば、そんなにも、嬉しいことはない。どうか笑って、その花道を駆けぬけていってほしいと思う。

 

 

 

 

ナポリの男たち」の動画を見つけた九か月前の私へ。
そのグループを信じていいよ。今なら、心から言える。

今日ほど、生きていてよかったと強く実感する日は無い。間違いなく、あの瞬間がそうだったんだと胸を張って言える。

 

 

 

 

 

幸せすぎやねん、なんか。
ずーっと、甘いショートケーキを食べ続けてる状態やねん、今。
青春を取り戻させていただいて、ね。
しみじみと本当に幸せやと思うけどなぁ (すぎる

[会員専用] #102 誰でも「すぎる」になれる奇跡のイケボ術! ラジオ/動画 - ニコニコ動画

 

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ナポリの男たちのオンラインシート」って何ですか

 

 ナポリのオタク人生は訳の分からないことばっかりで、優しくて、面白い。

すぎるさん。今も、甘いショートケーキくらい幸せでいてくれているだろうか。

 

 

改めて、ナポリのことが大好きだと思う。 酸いも甘いも汚いところも、全部。理想やこちらの都合のいい幻想ではなく、本人たちが選んだ道がこんなにも愉快なグループに出会えたことが、心の底から嬉しい。ナポリの男たちが例え違う道を歩み始めたとしても、「してやられた」と笑って両手を上げられる。

信じる君がついた嘘なら、そっと心にしまうよ。どうか、心ゆくまでその道を謳歌してほしい。賢くなんてないナポリだって大好きなんだから、笑って歩くその青春をどうか、どうか走り切ってほしい。誰も歩いたことない道を歩こう。人生はパレードだよ。


誰に何言われても変わらない。人生を賭けて好きなものを推しているいまが、少しだけ、誇らしい。これからもささやかながら、その進化し続ける軌跡を、応援しています。

 

誰も歩いたことない道を歩く、あなたたちへ。そのステージを駆け上がる時も立ち止まるときもどうか、健やかであってほしい。4人でここまで来てくれて本当にありがとう。舞台化、心の底から嬉しいです。

 

これからもささやかながら、その進化し続ける軌跡を、応援しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで舞台化って何ですか?(振り出しにもどる)

 

 

DiSCOVER THE FUTURE

アイナナの日、おめでとうございます!現地やビューイング会場で過ごしたこれまでの2年。そして、大変な状況の中での7月7日。それでも、こうして今年も祝えることが幸せです。

アイドリッシュセブンに出会ってから3年。どんな時も、本当に大きな指針として、アイドリッシュセブンはそこに居てくれました。

君と笑い合えるから、どんな今日でも超えられる。

たとえその灯が途絶えても、生涯忘れない宝物です。「信じていいんだと思わせてくれるアイドル」をくれたアイドリッシュセブン、感謝してもし足りない。これからも、何かに迷って躓いたときも、背中を押してくれる物語。何にも代えがたい、大切な存在です。

アイドリッシュセブンというアイドルから、
本当にたくさんのことを考えました。

アイドルだって人間で、それぞれの生活も、アイドル以外の一面もある。
その人間、いち個人にアイドルとして、一生、終わらずいてくれなんて願いはきっと酷なのだとアイドルというものを好きになるにつれ、強く感じるものでした。

アイドルを好きになるということは、アイドルとして生きる人間が見せている一面への、名前通りの偶像崇拝理解していたその上で、アイドリッシュセブンはいつだって、私たちの”欲しいアイドル”でいてくれた。だけどアイドルだってひとりの人間で、期待や、願望や、拗れた愛の重さで壊れて欲しくない。

アイドルと共に生きたくて、アイドルに普通じゃ掴めない眩しさを自分の代わりに掴んで欲しくて、一緒に掴んだ仲間たちと、心の底から笑ってほしい。

アイドルに対する大きすぎる願いを、知らず知らずのうちに祈っていました。

アイドルへの向き合いかたは、そのアイドルとファンの関係性の数だけ存在するのだと思う。手の届くところにいてほしい。一番高いところで、輝いてほしい。望むステージで、笑ってほしい。
ファンは応援する対価として、色んなことを望む。けれどそれらの望みはばらばらだ。あなたの好きなアイドルは何を目指して、なんのために歌っているのか。きっとそれぞれ違って、定義付ける必要はないことをこの作品に教えてもらいました。

数字、色、その全てに魂を吹き込んで生かす。まるでストーリー自体がモンスターのように生きているようなコンテンツ。
色鮮やかで、綺麗で、文字通りの、希望でした。
アイドリッシュセブンという7人のアイドルが存在している、それ自体が本当に、奇跡のような出来事なのだなぁ、と改めて思います。

 はじめの形から、何一つ変わらない。その姿が当たり前じゃないことを知っている。終わらないでと、笑って願える。
指針だと思えるキャラクターがいる。自分一人で噛み砕けなかった感情を、優しく、綺麗に、時に荒々しく、教えてくれる。
音楽が力をくれる。揃ってほしい音色がそこにある。欲しい言葉を、音に乗せて誓ってくれる。
人生に輝きをくれる。終わってしまったような夢に、続きをくれる。ゴールだと思っていた地点から、スタートだと笑ってくれる。
期待に耐え、クオリティを止めることなく、加速していく姿に時折不安になる。それでもいつだって、アイナナは誰も予測していない次のステップへと進んでいく。その姿が眩しくて、誇らしくて、危なげなのに、そこに不安はひとつもない。

眩しい、とっても眩しい。アイドルに願う”永遠”の気持ちを、彼らは一度だって否定しない。何でもない日も、ずっとそこにいてくれる。そんなアイドルは、私の心の根底で、私を支えてくれている。

私の幸せは、大好きなアイドルが大好きな仲間たちと輝くこと。アイドルたちが、自ら望んで輝くことを喜んでくれること。アイドルたちの愛される姿を、同じ空間で味わうこと。そしていつか、胸を張ってファンだと言えるように、自分の納得できる自分でいること。そんな夢を叶えるアイドルは、やっぱりアイドリッシュセブンであってほしいです。

7人で、笑ってくれている。そこに本当に本当に本当に大きな意味があって、彼らを応援できることの幸せを噛みしめる毎日です。
アイドルがそこに居てくれることは、当たり前じゃない。
当たり前じゃないからこそ、今がこんなにも尊い。そこに揃うべき人がそろう揃っているという奇跡を毎度目の当たりにして、何度も何度も恋をする。

 この先、彼らがどんな道を辿ったっていい。君が決めた未来なら、どんな答えでも付いていく。

 その眩しい歩みが、たとえ進むのをやめたとしても、この作品に出会えたことを誇りに思います。

覚めない夢を、見果てぬ明日を、共に歩いてきましょう。

改めまして、アイナナの日、おめでとうございました!

 

 

あの日見た虹は奇跡だったのだろうか

 

“奇跡なんて言葉はいつが使いどきか そんなの分からない”


出会って半年間、毎日のように聞いている彼らの歌の中に、こんな歌詞があります。

 

あの日見た虹は奇跡だったんでしょうか。

「アイナナの日」と銘打たれた七夕の日に見たあの景色を形容するための言葉を探しても、やっぱり「奇跡」としか言いようがなかった、そんな世界を目にしました。

 

ファーストライブ「Road to infinity」の公演が終了してはや3週間が経ったって...嘘でしょ。ゲーム内では「AFTER Road To Infinity」というナナライを完全再現した神としか言いようがないイベントがはじまったところで、キャストさんや公式が私たちをまったくナナライロスから抜け出させてくれずにまさにRoad To Infinityを突っ走っている最中でございます。

 

来月の20日で三周年を迎えるアイドリッシュセブンにおめでとう、という前に、私が彼らと出会って突っ走ってきた半年間を振り返ろうと思い、どうにか文字にしてみました。ひとまずこのあふれそうな思いと未だ冷めない余韻や熱を、たくさんのありがとうとともに。お時間がある方、よければどうぞ。

 

・三部までのネタバレ有

・個人的見解を含みます

 


 一番最初にあのPVを見たのは、もう2年も前でした。

YouTubeのおすすめ欄でたまたま目にしたセンターのつぶらな瞳に目を惹かれ、「RESTART POiNTER」のPVを再生したあの当初はまさかにこんなにもこのコンテンツに忠誠をささげることになるとは思いもしなかったなあ...


 キャッチーでリズミカルで、なぜか何度も見たくなる、不思議と元気になれる曲だ。そう思ったのを覚えています。

 キャラクターの名前もちょいちょいしか知らなかった(推しとなる壮五の存在さえちゃんと認識していなかった)のに、何度も何度もあの曲だけを聞いていた。

 


当時スポーツものや歴史物のジャンルに手を出していた私はアイドルものに関しては比較的疎かったし、正直歌が良ければいい、と思っていたところさえあって、

“夢物語じゃん” “二次元アイドルなんてみんな同じでしょ” そう思っていた自分もいました。なんとなくPVだけ見てた。アイドリッシュセブンにのめりこむことになる2018年3月9日までは、そんな感じでした。


そして10代最後の春。まさかここまで心を支配するアイドルに出会えるなんてない、と思っていた私の前に、アイドリッシュセブンは現れました。


 現在もオタ活を共にする友人が「アイドリッシュセブンのストーリーを読み返している」と呟いていたのを聞き、その時に公式でメンバーの人生に忠誠を捧げようとしている高校生がいること、ポップなゲームタイトルからは想像もつかないような試練が洪水のように押し寄せてくること、グループ内で人気の格差が起こって人気メンバーが先行デビューしてしまう、などといった話を聞きました。いや...なんだそのゲーム。


個人的に心から感動できるものや着実に積み上げられたものからなる奇跡、みたいなものに出会いたくて、逆に薄っぺらいストーリーにはそこまで興味が無かったのでよし...せっかくだし読んでみるか。と決めたその日、これがすべての始まりでした。

 

ここからは断片的ですがストーリーを読んで心に残ったことをつらつら思い出し書きしていきたいと思います。

 

1部。”かわいい人だな...”と悠々と発言する高校生や元気印そうなセンター、いかにもかわいい系のCV代永翼、カタコトの外人、メガネ、プリン、白いの。そんな印象を持った気がする。本当にこれがそんなに評価されてるのか....?そんな疑念と共にとりあえず懐石弁当(仮)たちの名前を覚えていきました。
ふと、 はしゃぐ環や三月の後ろで微笑む、色素の薄い男の子に目がいきました。なんて名前だ?この子......

その瞬間、逢坂壮五のことを”知りたい”と思った。もともと美人で綺麗なキャラクターにまず惹かれる癖をもつ私にとって、逆になぜ今まで気づかなかったのかというくらいのビジュアルでした。(自分もこうなりたい、と思うくらいかわいいキャラクターは、毎度毎度推しになる....)
本心を見せない壮五の姿に、”こいつ絶対裏切るやつや...”って思ったのを覚えている。ゴメンな。ちょっと過激なだけだったな。

絶対人気キャラだということも見てすぐ分かった。ビジュが良いもん。

それでも、壮五を応援したい。この何を考えているか分からないキャラクターを、奥底まで知りたい。早々に推しを見つけたことはここまでアイナナにのめり込んだ要因の一つだと思います。

そう考えると壮五は、昔から知っていたかのように、心の中にすっと推しとしていた気がする。はあ?!と思うこともある推しだけど、全てが愛おしいんだよ〜。逢坂は、逢坂はと自担なのにいじってばっかだけど、ふとした時にぐっと心を奪われることもある。尊敬できる、応援したい。壮五が「幸せだ」と大きな声で言えることが、この上なくうれしい。うまく言えないけど、逢坂のことを推していることが誇らしいとまで感じる。好きだな....。これからもよろしくね。

 

ここまで読めば想像がつくかもしれないけど、言うまでもなくMEZZO”担です。


“ケンカップル”とか”ライバル”とか仲が悪くてもステキな関係を持つ2人、とかではない。”正反対の相手と仲良くなることを諦める”ことがこんなにも恐ろしくて心が冷えるものだとは思わなかった。面白いほどすれ違う2人を見ていられなくて、何度も部屋を駆けずりまわったし、心配になってツイッターで検索したりした。仲良しメッゾの偽看板。こんなにも仲良くしてほしい2人にこんな辛辣なフレーズ、あるか!ないわ!


でもまあそれが1部のメッゾの現実だったわけで....。アニメでもよくネタにされている「包丁を持って。じゃがいもを握って。」のシーンは正直ネタじゃない。本心じゃねえか。あれがあの当時の壮五の環への気持ちだと思うと、”知らない”ということがどれだけ怖いことか..... 精神的な苦痛が恐ろしかった。当初一部だけ配信されてた時にメッゾを推してた人たちのハートの強さに脱帽する。
 友人が”メッゾは時間をかけてやっと関係を築いた”と言っていたけど、本当にそれでしかないなと思う。あの日落ちた雷が起こした停電は偶然だった、きっと他の誰でも良かった。環じゃなくて良かったし、壮五じゃなくてよかった。それでもずっと、そばにいたいと思えるような2人になったのは、知ろうとして、弱い部分を知って、共にいる時間を大切にして。ゆっくり築き上げた、大切な宝物なんだなと思います。

こんなにも毎日メッゾのことを考えてるのにうまく言えないけど、運命以外表す言葉がないな、と思う。

MEZZO”がこの2人で良かった。心から、そう思います。

 

メインストーリーの話に戻ります。アイナナの次に登場するTRIGGERの”最強ライバル”感はすごかった。噂には聞いていた九条天に出会えたんだもん。想像以上だった。
楽に関しては最初ははあ〜?!なんだお前〜?!って思ってた気がする。ごめん。今じゃTRIGGER1の推しです。生き方が最高すぎるわ。

やっぱりライバルチームだからそんなに印象良くは作らないんだろうな....と思ったけどやっぱり、ビジネスで繋がっている、という描写が多かった。まあ幻想だったんだけども。
TRIGGERだけにフィーチャーすると何なんだこの最高のシナリオは!?という感情が先行する.....推しは壮五だけど次元、男女問わず世界で一番の”アイドル”は九条天だと思うとこがあります。アイドルとしての姿勢がカッコよすぎる。嘘がない。眩しい。いつだって夢を与える存在でいること、簡単なようで一番難しいことをあまりに簡単に(色んなことがあった上で)成し遂げる九条天が、この3人で頂点を目指したい、そんなこと言われたらもう.....無理~ッそりゃ引金嬢不可避だわ。だから2部、3部であんなにTRIGGERの絆を試すようなストーリーあそこでぶち込んでくる文太先生、ハンパないしやっぱり最強。乗り越え方がカッコよすぎる。NATSUしようぜが盗作だったと言えなかった天に人間味を感じた.... 一度TRIGGER目線でストーリーを読み返してみたい。


いかんせんメッゾのしんどさがすごくてこの先のストーリーで救われると分かってても飛び出しそうな気持ちになるからあんまり数読み返せていない1部をアニナナで補填しました。

だけどアニナナもアニナナでしんどかった....プリーズミュージック。一織の涙が忘れられないし、ナギの優しさも忘れられない。

だから江口くんがナナライの最後に”Are you happy?”と聞いてくれたこと、そしてただその一言だけだったこと。カッコよすぎる.....カッコよすぎる。毎日”ナギ、いかないで”と膝を折って願っている。マジで。お前に聞きてえよ アーーユーーハッピーーーーーーー........(大声)

 

ナナライでもあまりに忠実に再現され、アニナナではこれでもかというほど焦らされたメモメロ。実はこのPVをあんまりちゃんと見たことがなかったけど、メモメロの歌詞ってすごい。いや全部すごいけど、1部でのアイドリッシュセブンをここまで歌の中に的確に込められるか。天才か。

 

二次元だからこそブラホワでTRIGGERに勝てたけど、彼らにはそれ以上に数え切れないほどの試練や苦痛があったことを思うと、これくらいのご褒美いいよな。って思う。

 

勢いで読み進めた2部だけど、ここで一つ問題があった。リズムゲームが下手すぎるという....。ストーリーライブをクリアしないと読めないストーリーに何回かぶち当たりつつ、なんとか読み進めた。あれみんな普通に乗り越えてんのかね。指が追い付かないよ。

 

ここで出てくるのか.....RESTART POiNTER。
一織推しの私の友人は、「パフェギミで始まりリスポで終わる2部」と言うが、一織くんがここまで自分がセンターだということに不安を感じていたとは思わなかった。陸がセンターであることに強いこだわりをもつ一織自身がセンターになること。高校生の彼は、どんな気持ちであの歌を披露したんだろう。2部に関しても、一織の気持ちをちゃんと理解してみたい。もっかい読もう。

RESTART POiNTERという楽曲にここまでストーリーが込められていたなんて、たまたま見つけた2年前にほけ〜と見ていた私では気づかなかった....。

ナナライで見た一織くんの安心しきった表情を見てリスポの間は私と友人はずっと泣いていた よかったね....。
Perfection gimmickをセンターで歌う一織の決意したような表情にも心を動かされた。ナナライで2番終わりでメンバーを支配するようなフリ....目に焼き付いて離れない、アンタの曲だよ、かっこいいよ、と太鼓判を押したい気持ちになった。

 

2部のメッゾ。思い返すと、これまたしんどかった。”踏み込むのを諦める”そんな2人を見ているのが辛かった....。できれば良い関係でユニットを続けたいのに、どうしてか空回り。最終的にスクリュードライバー沙汰になるメッゾの確執が3部4章3話まで解消されないと思うとどんだけだよ。


“君を見てるよ”という壮五の言葉が、どれだけ環を救ったかは本人のみぞ知るだけど、きっと環は本当に素直で素敵な人間性を持っている男の子なんだろうなということは痛いほど感じた。

苦しい環境で育ったせいで人からあたえられる愛に敏感な分、愛してもらえる喜びを誰よりも知っている。そして、愛を与える側へと成長していく。そんな環を分かろうして、優しく、いっぱい考えて向き合おうとした壮五の努力が環の思いと重なって形になった。本当に、いろんなことがあったね...。

2部の楽曲である”恋のかけら”の歌詞にもあるように、”いつのまにか愛しくなって 誰よりそばにいたくて”。 まったくその通りだと思います

 

そんなこんなで丸2日かけて2部を読み進め、いよいよ3部。これがまた。

 
まず先にメッゾの話をすると、いきなり糖度がSAN値超えしていてびっくりした。前みたいなぴりぴりしたメッゾではない...。ケンカも、分からないからもやもやするケンカじゃない。わかり合うためのケンカだった。もはや3部のメッゾを見るために生きてきたのではないか、と思うほど救われるシナリオだった。こんなハッピーエンドあるか。

「君がいてくれてよかった」。この言葉は、ある意味で環が一番欲しかった言葉なのかもしれないと思うと、本当に"お互いにお互いが必要だから"なんだね。もはやもう言葉はいらない 歌の中にすべて答えがある、とんでもないことだぜ。

 

ディアバタに関しては後述しますが、とにかくずっとメッゾのターンじゃなかったか....?ってくらい、すごかった。

 

3部で明らかになる大和の過去。そして三月との大喧嘩。このシーンがまあ好き....。

うまく言えないけど、大人組の2人が一度ぶつかるというシーンが3部に来てあるということがよかった。タイミングが神。ナギの優しさも三月の男らしさもすきだけど、大和の”ほどほど”も素敵だということに気づいた....

.個人的にはナギが”ミツキ!”と常に声をかけ、小さな体で抱え込むいろんなものを溶かしてくれるナギの優しさが大大大好きなんですけど、ここのナギも良かった。いつだってスマイルアンドジェントルなナギにどれだけ救われているか。帰国しないで。

 

一織が陸のセンターとしての力を”訴求力”だと答えを出したところも好きだった。そしてモンスターとして形容された陸....鳥肌がたった。デビュー曲までもが伏線。こんなにも恐ろしいか、アイドリッシュセブン

 

先述したけど3部のトリガーもまた最高すぎる。さすが小室哲哉。もはや何も言うことはない..... 普通あんな風に九条天を泣かせるか。

 

そして大神万里という男のずるさよ...。アンタに勝てる男はなかなかいないぞ。

 

3部で姉鷺マネージャーが言う、理想のアイドルに対しての答え、「終わらないアイドル」。この言葉に出会えたそれだけで、アイドリッシュセブンというストーリーを読んでよかったと思うくらい。


個人的な話になりますが、私は6年くらい前からずっと某ジャニーズグループを応援していました。そのグループも一筋縄ではいかず、デビュー当時からメンバーが半減してしまっています。分かるかな、ギリギリで生きていたいグループです。

 私は残念ながら彼らの”全盛期”にリアルタイムで立ち会うことはできなくて、できなかったからこそ、かつての眩しさに思いを馳せていた部分がありました。

 

 変わらず、ただそこに居てくれるだけでいい。それが一番叶わないことだということをかつて身をもって感じたからこそ、この言葉が胸に響いた。かつて叶わなかった願いを、アイドリッシュセブンと出会って取り戻すことができたという意味でも、アイドリッシュセブンと出会えた喜びは本当に計り知れない。

 

だからジャニオタ的視点からみてもアイドリッシュセブンは妄想ネタできるネタの守備範囲が広すぎる。そういう意味でも好き。

 

そしてナナライ。

もはや今更言うことでは...って感じですが、「確かにそこにいた」ということが、どれだけすごいことか。やっぱりただのアイドルゲームではないな、と感じさせられました。本当にいろいろ言いたいことはあるのですが、一曲だけ。最後に、「Dear Buttefly」の話をさせてください。

まだ、ずっと忘れられない。二つの色が重なって、バタフライエフェクトが起こる。環がのぞき込んだ手のひらの蝶が、未来へと羽ばたいていく。これがこの3年間のMEZZO"の答えであり、これからであることに本当に本当に感動しました。

"涙拭いて見上げたら 見守っている虹のように"。

ホームであるアイドリッシュセブンから突然引き抜かれて、アイドリッシュセブンの未来を最初に担ったのはほかでもない彼らで、悲しみも喜びも、二人にしか共有できない世界にほっぽりだされてしまった。決して好きでユニットを組んだわけではないそんな彼らが、MEZZO"として伝えたいと思うこと。それが「好きなものを好きと言っていいんだよ」という、当たり前のことでした。

当たり前のことを伝えるために、こんなにも時間がかかった。だからこそ、そんな二人が築き上げた「MEZZO"」がこんなにも大切な宝物になったんだと思います。

"今羽ばたくんだ ささやかに日々を謳って そして大事な人たちと分かち合いたいな" 

ホームにアイドリッシュセブン、という大事なひとたちがいるからこそ。

MEZZO"という宝物が輝ける世界なんだと思います。ありがとう。

もはや大切すぎて言語になってませんが、Dear Butterflyがこんなにも素敵な曲だと気づ

かせてくれたナナライ、本当にありがとうございました。メッゾ大好きだーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!(好きなものを好きって言った)

 

セカライ楽しみにしてます。個人的には、三月にオレンジのヴェールを見せたい。見せたいってば。あと普通にビバで声がかれるまで黄色い感性を挙げたい。

 

 

 

 

アイドリッシュセブン”というストーリーを語るにはまだまだ語りたりない部分が多すぎるし語彙も足りない。というか断片的すぎないか。いろいろあるだろまだ。こんなに胸をいっぱいにしてくるアイドリッシュセブン、ストーリーに沿って思い出せる範囲で文字に書き起こしてみました。


アイドリッシュセブンがこれまで何度か炎上したことも、賛否が分かれたことも、最初からこんなしっかりとした運営が行われていたわけではないことも知っています。

だからこそ、アイドリッシュセブンが今ここまでファンに寄り添った陣営をしているのを見て、コンテンツも成長していくということを知りました。

大手バンナムが指揮を取ったとしても、誰かの逆鱗に触れることはある。それでも、その巧みなプロモーションには感嘆を禁じ得ないな....と思う。

 

アイドリッシュセブンに対して、いかないでくれ、と強く願うことがあります。私たちは、虹は消えるものであることを知っている。こんなにも眩しいのに、いつか儚く消えてしまいそうだと思う。
永遠がないことを知っている。それでも永遠への道はいま始まったばかりだ、と笑う彼らが、”アイドル”そのものすぎて、眩しい。一瞬の虹を綺麗だと思える、そんな感情を大切にできるようになったのは、ほかでもないアイドリッシュセブンのおかげかもしれません。


“君がいる世界ならば、どんな今日も超えられるさ”

 

そんな気持ちに、させられてしまう。あまりに人生を全力で生きる12人のアイドルの姿に、魅せられてしまっているのです。

 

 

"アイドルを傷つけるのはいつだって好きの感情"とモモちゃんが言っていたように、ファンのマナーや運営の対応、小さなことでさえ命取りになるような世界です。ここまでボルテージを上げたアイドリッシュセブンを、ファンの「好き」で壊したくない。推しの顔に泥を塗ることがないようなファンでずっとい続けたいと思います。大切なことはすべてアイドリッシュセブンが教えてくれた。

 

この二次元アイドル戦国時代、代わりなんていくらでもいる。でもその中で出会ったアイドルが、アイドリッシュセブンで本当に良かった。

だから「いつか離れてしまっても」なんて寂しいこと言わないで。

三年間立って、"なんでもない日も自然とそこにいる"そんな存在になろうとするアイドリッシュセブンがあまりにも尊い

これから先、たとえ比重が変わってもずっと、心の中にいてくれるアイドルなんだろうなと思います。醒めない夢を、世界中の涙を虹に変える日まで、一緒に歩いていきましょう。

 

元気を、希望を、生きる指標をくれてありがとう。これからも、アイドリッシュセブンが愛であふれた作品でありますように。三周年をお祝いできるのをとっても楽しみにしています。そしてどうか、これからもよろしくね!