つまるところ病気です

しがないオタクの備忘録 いつの間にか、社会人になりました。

そのステージを駆け上がる君たちへ

 

 

 

 

 酸いも甘いもを乗り越えて、彼らはこれから、どこへ行くんだろう。
「ゲーム実況」という夢も希望も乗せた船の終着点は、
いったいどこなんだろう。

「ゲーム実況者」はめちゃくちゃカッコいい|微酸|note

 

 

彼らの歩みとその行きつく先について、ずっと考えていた、矢先だった。

 

 

 

napolimen-stage.com

 

ナポリがまたどっか行った。
ch放送特別回はさすがに拡大解釈すぎる。どこを経由してんねん。

 

 

というわけで、突然ですが、推し実況グループ「ナポリの男たち」が今夏、
舞台になります私もよくわかってません。訳が分かったことの方が少ない

 

 

 脳死していた。完全に処理落ちしたまま、涙が出た。もう二度と感じることはないと思っていたこの喜びの感覚を、知っていた。

 いつだって想像を超えてくる「男たち」に、また今回もしてやられた。

 

 

f:id:otyaken2710:20210412015919j:plain

なんだこれ。

 

分からないのに、何が起こっているのかわかっていないのに、嬉しくてうれしくて、ただただ涙が止まらなかった。そんな経験をまた出来ると思っていなかった。


筆者の過去の事情なども織り交ぜての文章になりますが、良かったらお付き合いください。

 

 

 

・推し実況者が舞台になるということは

まあ、次なるイベントということで (蘭たん)

www.youtube.com

 

したり顔でニチャ笑いする蘭たんの顔があまりにも鮮明に想像できる。(顔知らんけど)完全に油断した。だって完全にナポリ展だと思ったもん

 

 

 

ナポリの男たちにハマって9か月ここに来て、なぜか私のこれまでの人生と「ナポリの男たち」がまるで伏線回収のように輪廻として繋がってしまった。


物心ついたときからずっと振ってきたペンライトを、いま一番応援したいと思える人達のために(本人じゃないけど)(?)振れる日が来るなんて、誰が想像したんだろう。

 

 

 

少し個人的な話をすると、ナポリにハマる以前は実況とは全く関係のない界隈におりました。
そこで感じた個々の解釈、強火、マウント、チケ戦など挙げればキリがないほどの「オタクとしての生きにくさ」。幸せになりたくて趣味をやっているのに、どうして苦しい思いをしなきゃならないんだろう。どうしたって資本主義の界隈で息をしているうちに気づかぬうちに限界まで疲弊して離れたことがあります。それが2.5次元の舞台でした。

 


そんな舞台に、ナポリが立つという。(本人は立たないが)

 

 

本来なら苦虫を潰したような思いになるはずだった。だけど、発表を聞いたとき、
何よりも一番最初に、嬉しかった。

ナポリなら大丈夫だと直感的に思った。 そう思ったら完全に脳死して処理落ちした。涙が出た。

 

 

また、舞台を見て幸せになっていいんだと、思えた。

 

 

苦い思い出だった2.5次元の思い出をこんな形で昇華できるなら、あの日々たちが報われる。きらきらして眩しいはずの舞台を手放しで楽しめなかった悲しみが、やっと昇華される日が来る。

 


もう二度と感じることはないと思っていたこの喜びの感覚を、知っていた。

 

世の中には言語化できない感情もある。
直感的に「ナポリなら信じられる」と思った、ただそれだけなんだと思う。

 

 

ナポリの男たち」が考えた舞台なら、信じられる。

 


好きで居たかったグループたちが壊れていく景色、ずっと大好きだと信じていた作品がその息吹を止める瞬間。それらの経験は知らず知らずのうちに自分の中で膿となり、人生の節々でそのトラウマがよぎる。そのトラウマを抱えて生きていくのはストレスすぎて、ずっと苦しかったけど、こうやって思い出が形を変えて「良い思い出」の糧になっていくなら、すべての出来事を必死で通ってきて良かったなと思う。

 

 

 人生で二度もこんな奇跡を味わえるなんて、思ってもいなかった。同時に「これが幸せなんだ」と心の底から自分で実感するその感覚を知らぬ間に渇望していたのだと思う。

 

 

 

推しの新情報に生かされるほどオタクとして楽しいことは無い。
こうしてナポリはまたひとり、オタク脱走寸前の限界オタクを救ったのである。

 

 

 

 

・未踏の花道を歩く4人が好きなんだ

 

 

 えらいとこにきてしまったな、と思う。

 

 

ナポリの男たち」は、ぬるま湯なんかじゃなかった。
足がもたつくほどのヘドロの海に、とっくの昔に呑まれていた。何度も何度も言っているけど、なんでもない日常に寄り添ってくれる毎週の動画に自分でも訳が分からないくらい救われている。そんなゆるい日常の供給は、いつしか摂取しないと禁断症状を起こしうるシャブへと大成していた。

 

 ぬるま湯だと思って好きになり、その深淵を疲れた時のビタミン剤として慢性的に摂取し続け、気づいたら「男たち」の奈落の底へ、落ちていた。

 

こんなにも予想を超えてくるグループだと、正直思っていなかった。

 

 

 

皆さん「どうなるんだ?」と思われていると思いますが、我々も同じ想いです。どうなるんでしょう。
でも、予想もつかないことのほうがドキドキして楽しいですよね。

COMMENT | ナポリの男たちch特別回「舞台・ナポリの男たち」

 

 

この一言を見て、びっくりした。期待を、予想を、ハンドル120度切ってあらぬ方向へと超えていく4人の生き方随分と前から確立されていたのだろうと思う。私が知っている「ナポリの男たち」なんてその氷山の一角で、「男たち」は想像以上に、「ゲーム実況者」としての未踏の地を掻き分けていくという意思が強くあったのだな、と改めて実感した。

 

 変化を受け入れるのは容易ではない。変化して、新しいことを提供して、グループとして続いていく。そんなことをさらりとやってのけてくれるグループだと思っていた。

 

 

 

さらりとやってのけていると、思っていた。
違った。彼らは「ナポリの男たち」としての可能性を、いつだって考えてくれていた。

 

 

 

まだ私が「ナポリの男たち」という実況グループを知らない時も、彼らがグループの存続について考えていたときにも、顔出しせずに活動するためになぜか怪人になったときも毎週の放送を何食わぬ顔して配信してくれていたその時もずっとこの企画が水面下で動いていたのかと思うと、どうしようもない気持ちになる。

 

 

 

 

思慮深くて、ずれていて、予想がつかない。

なんて誇らしい推し実況グループなんだろうと思った。

 

 

 

約1年やってきたわけですけど、何か変わったりしたかなとか聞きたいなって (hacchi)

 [会員専用]#10 すぎるのわんぱく子供番組! - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)

 

 

 

たつきながら、距離感を伺いながら、そんなことを言ってはじまった4人が、こんなにも多くのファンに戻れないほどの中毒性を植え付けるトンデモグループになるなんて、この当時のどれほどが想像していたんだろう。

 

 

新しいことを次々にやりのける彼らの姿が、今すごく眩しい。眩しくて、幸せだと思った。

 

 

すべての生きてきた経歴がこうやっていま一番応援したいと思えるグループに還元されるのだとということを知らなかった。そういうことが起こるのが人生なんだと足りない海馬を総動員させて理解した。

 

・「いつか行きたいねナポリ」は着地点だろうか

 

 

変わらないものなんて無い。だからこそ毎週毎秒歩み方を変化させている「ナポリの男たち」の柔軟なやり方がすごく好きだった。

生まれも育ちもゲームスタイルも違う4人が手探りで探す過程も、その答えも、大好きで尊敬している。
変化を恐れず、新たな考え方を適用して、その存在意義をアップデートしていく「男たち」の生き方が好きなんだな、と強く思う。

 

 

自身の依代を用いて板の上に立つと言い出すあなたたちが、面白くて、予測不可能で、楽しくて、幸せであると同時に、切なくて涙が出る。

 

 

この4人でやれること」をすべてやりつくしたとき、「ナポリの男たち」は、消えてしまうのだろうか。「ナポリの男たち」の歩むストーリーに、筋書きはあるのだろうか。

 

 

しがないオタクのささやかな願いとしては、三葉虫の手垢がついた「ゲーム実況」という言葉通り、新しいことが生み出せなくなっても、おじいちゃんになっても、できれば4人そろって、大好きなゲームをプレイしていてほしい。今日も4人の健康を祈りながら動画の再生ボタンを押すことしかできないが、「ナポリの男たち」の行きつく先をできるだけ長く、見ていたいなと思う。

 

 

人生にリロードボタンは存在しない。こうして「男たち」を全力で追いかけている今もれっきとした「私の人生」の経歴で、揺るぐことない史実として刻まれる。結果的にいい思い出にはならなかった出来事も、履歴として消えることなく残される。

 



消えぬ刻印となるのなら、振り返って「いい景色だった」と笑えるまで、全力で走っていたいと心から思う。

 

 

昨年からの未曾有の事態下で出会った「ナポリの男たち」のリアルイベントというのは正直、叶う予想がついていなかった。そもそもそんな発想が無かった。

 

三か月後というあまりにもリアルな数字に驚いた。ナポリの現場か。夢か?

 

 

そもそも、大好きな人たちのために現場まで足を運ぶという行為が好きだった。
私にとって現場とは、何気ない日常に差し込む、あまりにも眩しい光だった。今日のために用意してくれたパフォーマンスと、その日にしか見られない表情をできるだけ多く覚えていたいのに、あふれ出る涙で前が見えない。馬鹿みたいだ、と思いながら、耳奥がつぶれるような音楽に胸を震わせる、あの瞬間が大好きだった。大好きな作品の応援の光という一部になるのが幸せで、そして同じようにその作品に忠誠を誓ったオタクたちと、同じ空間を味わうのが人生の最高の喜びだったあと前日の高揚感で眠れなくなりたい。知らん土地の知らん駅で、いつ来るか分からない電車を待ちたい。チケットがあるかどうか、ヒヤヒヤしたい。ライブが終わったらみんなで顔を見合わせて、一杯目のビールにすべてを捧げたい。帰りの夜行バスで爆睡して、死にかけの脳で吉野家の朝定食食いたい。そこまで含めて好きだった。

 

 

ああ、本当にナポリのオタクに会えるのか。ナポリを応援することがこんなに楽しかったのは紛れもなく、一緒に彼らの進むトンチキロードに一喜一憂してくれたフォロワーの皆様のおかげだと思っているので、本当に嬉しいです。

 

 

 信じた「好きなもの」が心から誇れるものだった喜びを噛みしめるこの人生を、もう誰にだって否定させはしない。

 

 

 いつかナポリにいって、そこが通過地点でも、ゴールでも。
終着地点がどこであっても、その軌跡を「素敵だ」と笑えるような、ファンでいたいと思う。

 

 

・そのステージを駆け上がるあなたたちの、終着点は

 

 

 

勝手に好きになって、勝手に信じて、勝手に不安になって。オタクというのはどこまでも自己中心的だと思う。それなのに、「見たことない景色」へのチケットを用意してくれる「男たち」は、なんて懐の深い人間たちなんだろう。

 

 

 とも思ったけど同時に、三十路も超えた(一人もうすぐ四十過ぎるけど)大人たちがこんなにも多くの人の心を動かし、揺るがし、混乱させた(?)というのも、なんともドラマチックな話だ。

 

「男たち」がいま走っているその道が彼らに遅れてやってきた青春の道ならば、そんなにも、嬉しいことはない。どうか笑って、その花道を駆けぬけていってほしいと思う。

 

 

 

 

ナポリの男たち」の動画を見つけた九か月前の私へ。
そのグループを信じていいよ。今なら、心から言える。

今日ほど、生きていてよかったと強く実感する日は無い。間違いなく、あの瞬間がそうだったんだと胸を張って言える。

 

 

 

 

 

幸せすぎやねん、なんか。
ずーっと、甘いショートケーキを食べ続けてる状態やねん、今。
青春を取り戻させていただいて、ね。
しみじみと本当に幸せやと思うけどなぁ (すぎる

[会員専用] #102 誰でも「すぎる」になれる奇跡のイケボ術! ラジオ/動画 - ニコニコ動画

 

f:id:otyaken2710:20210412012240p:plain

ナポリの男たちのオンラインシート」って何ですか

 

 ナポリのオタク人生は訳の分からないことばっかりで、優しくて、面白い。

すぎるさん。今も、甘いショートケーキくらい幸せでいてくれているだろうか。

 

 

改めて、ナポリのことが大好きだと思う。 酸いも甘いも汚いところも、全部。理想やこちらの都合のいい幻想ではなく、本人たちが選んだ道がこんなにも愉快なグループに出会えたことが、心の底から嬉しい。ナポリの男たちが例え違う道を歩み始めたとしても、「してやられた」と笑って両手を上げられる。

信じる君がついた嘘なら、そっと心にしまうよ。どうか、心ゆくまでその道を謳歌してほしい。賢くなんてないナポリだって大好きなんだから、笑って歩くその青春をどうか、どうか走り切ってほしい。誰も歩いたことない道を歩こう。人生はパレードだよ。


誰に何言われても変わらない。人生を賭けて好きなものを推しているいまが、少しだけ、誇らしい。これからもささやかながら、その進化し続ける軌跡を、応援しています。

 

誰も歩いたことない道を歩く、あなたたちへ。そのステージを駆け上がる時も立ち止まるときもどうか、健やかであってほしい。4人でここまで来てくれて本当にありがとう。舞台化、心の底から嬉しいです。

 

これからもささやかながら、その進化し続ける軌跡を、応援しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで舞台化って何ですか?(振り出しにもどる)